kyotomedtrackandfield’s diary

ー京都大学医学部陸上部の公式ブログー

逃げ癖

人間(中略)の鳴き声、、??(( ;゚Д゚)ブルブル

 

皆様いかがお過ごしでしょうか。2回生の生地です。

前回このブログで記事を書かせていただいたのは合格発表日の3/10でした。あれから3ヶ月間で、世の中は新型コロナによって想像つかないような(悪い方向の)変化を経験してしまいましたね。。

直接病気に苦しんだ人や医療関係者、行政の方々にとってはもちろん、感染症の流行に伴う社会活動の停止によって多くの人が経済的にもそれ以外にも被害を受けています。京都でいえば、訪日外国人は前年比99.9%減らしく、、銀閣寺参道を何度か通りましたが本当に悲惨なことになってしまっています。

そしてもちろん医陸にとっても、、、これは自分が軽々しく書くには忍びありません。。

 

しかし、この孤独な3ヶ月の中においても、皆様いろいろなことを考えいろいろな過ごし方をされているのが、一周のブログを読んでもすごく伝わってきます。ここで僕も、個人ブログのようになってしまい恐縮ですが、近況報告ということで書かせていただきます。

 

いきなりですが、皆様にとって、今回の非日常は、もちろん自分の努力に関わらず環境として出来なくなったことはたくさんありますが、その上で、ご自身にとって満足度の高いものでしたでしょうか。

 

僕は、この3ヶ月、

人生最大級の精神的危機に勝手に陥っていました。。

 

そもそも、僕の環境では、自粛を理由にどうしても出来なくなったこと、不自由なことは、本質的にはほとんどなかったんですよね。

学部授業に関しては、解剖実習が中止されたのは本当に残念ですがオンライン授業や独学の材料も用意されていました。申し訳程度に研究室に所属しているのですが、そこでしていた作業も100%家で続行可能になっていました。そして陸上も、あくまで陸上競技としてですが、皆様が体現されている通り、タータンを奪われたとしても出来ることはもちろんあります。特に、体の出来ていない中距離選手の自分としては走り込みという明快な指針があります。

こんな風に、改めて考えてみると今回僕はめちゃくちゃ環境に恵まれているほうの人間でした。

 

しかし、僕はそんな状況の中、この数ヶ月の与えられた時間をほぼまるっと虚無に溶かしてしまいました。(現在進行形かもしれません)

 

このブログで、ある大先輩はこう仰っていました。

 

最近思うのですが、こういう非日常のときって、本物の能力みたいなのが分かる気がします。 こんな状況では、今まで難なくできていたことができなくなります。 そうなった時に、できないからと言って何もしない人もいれば、何かできることはないかと探すひとがいますよね。 その差って、何もないときは見えないですけど、こういう時こそ、その差が見えてくるのではないでしょうか。

コロナニマケズ - kyotomedtrackandfield’s diary

 

、、、泣

本当にそうだと思います。そして僕ははっきりと、今回その「差」というものがみごとに(他人からも自分でも)見えてしまった側の人間でした。orz

 

この「差」ってどこから生じるものなのでしょうか。って偉そうですが。。

まず、何がダメかというと、もともと僕は相対的にしか目標を設定できないのだと思います。自分がしたいことであるとか、するべきことについて、内発的動機とでもいうのでしょうか、自分自身の絶対的な価値に基づいて決定する仕方をせず、周りにどう見られたいか、周りをどう見たいか(これはすごく悪質なことです)を基準に決定してしまいます。一見これは「自己中心的でない」というポジティブな言い換えが可能なようにも思われるのですが、おそらくそれは間違っていて、実際僕はとても自己中です。。またこれは自己実現とか多様性とかとも全く関係のない話で、どういうことかというと、自分自身の価値に基づいてあり方を決定するというのは、たぶんその決定に対して責任が持てるということで、逆に、相対的に目標を設定しているというのは、決定の段階から、既にその達成に関して外部への責任転嫁の準備を始めているというか、、そんな感じなんだと思います。

 

そして、そのような決定の仕方よりも問題なのは、その実行の過程において、徹底的に苦痛を避けるために、必死でやらない理由を探してしまうという性格です。僕は自慢ではありませんがやらない言い訳を自分に提供することにかけてはピカ1だと思っています。(本当に自慢じゃありませんでした。)あらゆるサボりに対して理由を付けることができます。その極めつけはもちろん まあ京大入ったし、いっか笑 です。(これは一番悪質です)(共感してくれる方いますか?)(←この世で一番悪質な共感の募集ですね)

 

だらだらと書いてしまいましたが要は単にだらしないということです。でですね、自己啓発セミナー(死語)みたいになってきましたが、勝手に話を進めますと、これらの自分のダメさが、コロナによる自粛という状況に最悪の形でマッチしてしまったんですね。上で書いたように、やればできるという点においては完全に僕は恵まれていました。しかしながら、コロナで変わったこともありました。それは、孤立によって他人の目が薄まったこと、そして、短・中期的な目標が消失したことです。

 

全てを家で1人ですることになり、物理的に誰も見ていないので自己管理ができないというのが最も大きいですし、周りの人を意識することも減ってなんとなく解放されたような気にもなりました。みんなだらだらしてるだろう、という妄想の自由。

そして、各自で出来ることを探さなければならないという(ワンピースにおける3D2Y的な)状況に際し、内発的にそれをしたくない僕は目標の決定を放棄してしまいました。(たぶん僕が麦わらの一味だったら1Y8Mぐらいは余裕でだらだらしてしまうと思います。)

 

こうなってしまうと、逃げ癖にはもはや歯止めが効きません。

毎日を、まあ普段通りにいかないし仕方ないよね。という一点に回収していく作業です。

本来「うちで踊ろう♪」でないといけないところが「逃げ癖」ですよ。逃げ癖は役に立たないです。

 

で、そんなん勝手にだらしなくしとけや、という話でしかないんですが、こんなにだらしないにも関わらず、その自分に悩んでしまうのが一番の困りものなんですよね。長期的には、めっちゃ足が速くなってめっちゃ偉くなりたいという(これまた相対的な)目標は持っているため、このままではいけないというのは20分に1回は思います。

しかし根本的に自分自身でドライビングフォースを産み出して変わることができず、その歪みだけが蓄積されていく、みたいな感じです、、

その歪みは主に研究室への参加に関してひどくなっていました。研究は、誰に頼まれたわけでもなく、完全に自分の意志と責任で参加しなければならないものなので、その点が特に問われた今回の状況下で、実は自分自身の意志がそんなに強くないのに周りとの関係で意思をごまかしていたんじゃないか、というのが露わになり、できない自分というのを痛感させられました。

完全に自業自得ですが、、、

 

過去形で書いてきましたが、根本的には今も解決していません、、「とりあえず出来ることからやっていこうの精神」や「ZOOM勉強会で相互監視」等のツールによって、とにかく現実を進めていかないと、という思いですが、そもそもが自分が「差」として抱えていた弱さが明らかになっただけなので、向き合っていかなければならないと感じております。

 

そして、安直なまとめ方にはなってしまうのですが、僕のような弱い人間にとって、いかに周りの方々の存在が絶大なものであるのか改めて理解できたというのも事実です。いつも本当にありがとうございます。(土下座)

 

こういう根暗な文章を書くと、ほんとはこれからは頑張りますということも書かなければいけないのですが、、個人的に反省文の末尾で毎回決意表明をしてしまう自分というものに辟易しているので今回は根暗な文章のままお届けいたします。泣 

 

上半期最終にして、医陸ブログ記事の「知らんがなランキング・上半期」首位を堂々と飾るであろう長/駄文を書いてしまいました。すみません、、

 

 趣味の話題として、

そのうち古参を名乗りたいジャンププラスのマンガ 第一位----「サマータイムレンダ」

そのうち古参を名乗りたいyoutuber 第一位      ----「ベテランち」

 

についても語ろうと思っていたのですが、紙幅が尽きましたのでまたの機会とさせていただきます。そのうち古参を名乗るためにとりあえず名前だけ書きました。

 

皆様にお会いできる日を本当に楽しみにしています!

次の担当者は小畑くんです。よろしくお願いします!