kyotomedtrackandfield’s diary

ー京都大学医学部陸上部の公式ブログー

5回生の生地です(2024/02/02)

あれこれ考える対象としての中距離走をあれこれ考える

 

中距離走のトレーニングについてあれこれ考えることにハマっています。あれこれ考えるうちに、あれこれ考える対象としての中距離走の構造を整理しておきたくなったので、今日はそれについて考えてみます。ちなみに具体的に役に立つ可能性のある情報はひとつも書かないようにします。知られたくないからね。これを読んでみんなもあれこれ考えたいと思ってくれたら嬉しいです。

 

中距離走のトレーニングを考える前提

中距離走のトレーニングについて考えることはチャレンジングです。その大きな原因のひとつに、中距離走の競技特性は他のどんなスポーツとも一致しないことがあげられます。無酸素代謝と有酸素代謝を同時にハイレベルに使用する2分~4分の全力運動は、パワー系競技、持久系競技の複合であり、そのトレーニングもまた複雑になりえます。

 

中距離走の座学の4段階

 

中距離走(願わくば陸上競技一般)の座学を、次のような4つの段階に分けて考えてみます。

 1.一般的/実践的知識---広く取り入れられているトレーニング枠組みについて理解すること (LT走、インターバル、ピリオダイゼーション(期分け)、、、)

2.一般的/科学的知識---上記のトレーニング枠組みを裏付ける「科学的」理論について理解すること(LTとは、VO2maxとは、フィットネス/疲労モデルとは、、、)

3.個別的/科学的知識---既存の理論を更新するような事項を含む、科学的主張をフォローすること (持久トレーニングにおける筋トレの有効性、VO2maxが運動タイプに依存すること、、、)

4.個別的/実践的知識--- 1.~3.と自己評価/フィードバックを統合し、自分にとって最も効果的なトレーニングを同定すること(結局俺は何を伸ばせばいいんだ!どうやってケガせずいられるんだ!(´;ω;`))

 

挙げてみたらあまりに当たり前のリストですね。整理というのはそういうものだと思いたいです。ただ、ちょっと医学とは違う気もしますね。

まず1.~2.について。ダニエルズランニングフォーミュラなどで、著名なコーチが確立したトレーニング枠組みを学習することで、十分にそれらを得ることができると思います。十分に?もちろん、その権威付けの経緯からいっても、それらの「理論」はあくまで1.実践的知識に多くを依拠しており、実際にはあまり2.科学的でないことには注意が必要です。(科学とはコミュニティに対する正当化のプロセスを指す、という大まかな立場を取るならば、そのように言えると思います。あるトレーニング理論が確立したのは、それを提唱したコーチの教え子たちがオリンピックで成果を出したからであって、専門誌や国際会議で議論を重ねたからではないということです。)そこで、2.をさらに追求する人にとっては例えば運動生理学の教科書が次のステップになるでしょう。しかしながら、どのような分野においてもそうだと思いますが、運動生理学全体として、実践に確実に結びつけられるような強固な理論というものはほとんど確立されていないので、そのような追求は徒労に終わってしまう可能性が高いです。(例えばパワーズ運動生理学という邦訳のある教科書を読んでも、中距離選手として当然に知りたいことは書かれていませんでした(800mのタイムスケールにおける代謝やアドレナリンのダイナミクスなどなど)。)まあでも、そういう旅が純粋に好きな人はどこまでも行けばいいし、これを読んでいる中にもそういう人はいるだろうなあと思います。憧れます。「細胞の運動生理学」を読んだ人がいたらぜひ内容を教えてほしいです!

 次に3.個別的/科学的知識のフォローについて。このプロセスは、おそらく臨床医がPubMedと向き合ってやっていることにかなり近いだろうと想像しています。(基礎科学のみなさんはむしろ運動生理学の論文を読むと居心地が悪いかもしれません。)ここで、今回の文脈で強調しておきたいのは、2.の確立された「理論」をドグマ化し、硬直的に捉えてしまわないために、この作業がかなり重要であるということです。「理論」はかなりわかりやすいがゆえに、時にあまりに強く私たちをひきつけます。私たちは常に教科書を疑う意識が必要です(まるで本庶佑教授が教科書を疑うように。)しかしもちろん一本の論文のほうはもっと徹底的に疑わないといけないけれど。

さて、図らずもダニエルズ理論たちに難癖をつけるような文章になってしまいました。それは私の本意(本意ってなんかめっちゃ嫌な言葉やな)ではありません。このような課題について理解しつつ、結局はダニエルズで満足する覚悟が私たちには必要だと思っています。私たちは理論を進歩させるために学習するのではなく、自分が速くなるために学習するのですから、その時間的制約や能力の制約に応じた範囲で、必要な学習量を見極めなければいけません。そして、速くなるためにもっとも重要なのは、おそらく4.個別的/実践的知識を得ることで、そのために多くの時間を割く必要があります。おそらくと言わざるを得ないのは、ひとつには僕がまだ速くなっていないから、そして4.の知識を全然得られていないからです。個別的/実践的知識は、私自身による実験によってしか得られないので、早くそのことに気づいて、早くそのプロセスに取り組み始める必要がありました。要するに頑張って考えながらいっぱい練習しなければいけないということです。(あるいは有能なサポートチームをつけなければいけないが、そんなことはできない。)私は間に合っていませんでした。仕方がないので節操なく1.~3.を触りまわって、なんとかしようとしています。これを読んだ人は、この文章自体は全然モチベーターとして機能してないとは思うのですが、少なくともここに間に合っていない人がいるという事実だけ覚えていてくれたら幸いです。がんばれ!

 補足:

手をあげてそういうことを言うのが好きな人「1.~4.は直列的な順序として考えていますか?知識はもっと並列的かつ循環的な構造として捉えるべきではないですか?」

気の利いた回答をした夜、お風呂で思い出す人「2×2の整理から、単なる順序構造を想定していないことを明らかに見て取っていただけると思います。ラベルは補助線として捉えてくだされば幸いです。」

 

2024シーズンの抱負

 

ひとことで言えば、頑張ります。あるいは、

 

(悔しいと思うことすら許されない屈辱感で僕の内部が熔け落ちつつあったそのとき、自分にこのような体積を持った内部がそもそもいまだに保存されていたことを驚きとともに発見した。これがリアル、これがリアルだから。*1

 

(生活は十分に多くの闘いで満たされていて、生活者はそれぞれの闘いに常にわずかな勝利の可能性を見出してしまうので、生活は終わらない。決定的敗北というのは最も甘い幻想である。生活は決して終わらない。人生は決して終わらない。)

 

(手段が否応なしに目的化するとき、実は同時に目的が手段化しつつあるのかもしれない、そうやってぐるぐる回る車輪が僕を本当に善いところへと運んでくれるかもしれない。手段も目的もない、本当に善いところへ。)

 

 

追伸

4月末までヨーロッパのベルギーにいます。脳の勉強をします。僕はヨーロッパが大好きなので、留学することが出来てとても嬉しいです。今は飛行機に乗っています。うまく眠ることができなくて、お酒をいっぱい頼んで乗務員さんに怒られました。これからの生活が楽しみです。みなさんも怪我無く達者で。京都陸協記録会で会いましょう!