kyotomedtrackandfield’s diary

ー京都大学医学部陸上部の公式ブログー

「何をしたいの?」

 

はやいもので、2023年も師走を迎えました。4回生の中村です。

 

かつて、4回生ってだいぶ年上に見えていて、座学全部終わってCBTとやらを受けているのもなんかすごいし、これから実習に出て問診ができちゃうの!?なんて思ってた低回生の頃。

 

そもそも医学部以外の人たちは、もう卒業するわけで、(院進する場合を除き)就活もとうに済ませ、いよいよ社会人になるという年頃。

 

医学部という枠から一度視点を脱して、周りを見渡せば、将来のことを決めていない人の方が少ない、そんな年頃になりつつあります。

 

10月にアメリカに1ヶ月留学に行きました。

St. Jude Children's Research Hospital という小児腫瘍で世界的な病院があり、そこで急性骨髄性白血病の勉強をしてきました。

詳しい活動内容は、医学教育・国際化推進センターの海外留学関係サイトへ投稿しました。興味がある方がいらっしゃれば、ご覧いただけたら幸いです。もちろん直接聞いてくださっても嬉しいです。

 

それはさておき、この留学中、あるいは留学に前後して、

「君は、何をしたいのか?」

「将来、何になりたいのか?」

こう聞かれることが多くなりました。

 

皆さんは、答えがありますか?

 

 

.

 

 

 

人によって、大きく分かれそうです。

そして、「答えを今持っているべきか」に関して、その答えも難しい。

 

この問いそのものへの思考錯誤を披露して、ブログを終えたいと思います。ここから長いので、元気のある方だけどうぞ。(笑)

 

 

小さい頃から、「将来何をしたいか?」を聞くことは正義か

 

小さい頃、ここでは小学生や幼稚園ごろとしましょう。

よく「将来の夢」とか書かされたりしませんでしたか?

大体答えはある程度決まってて、

男の子は、プロ野球選手とか、サッカー選手とか、女の子はパティシエとか、学校の先生、看護師(!?)とか。女の子の方が男の子より真面目なんやろか、、。たまに医師って書く子もいる気がします。最近では、Youtuberって書く子もいるとかいないとか。

 

何書いてもいいんです、別に。ただ、なんか立派なこと・職業を書ける人が偉い、みたいな風潮がちょっと好きじゃないんです。世界征服とか書いてたら、真面目に書け、とちょっと注意されたり。冷静に考えて、小学生や幼稚園児が「金融・ITコンサル」とか書いてたらどうですか(笑)「不動産投資」とか「SNSマーケティング」とか、「大手広告代理店勤務」とか「五大商社に勤めて東南アジアでの貿易に関与」とか。なんでもいいんですけど、そういうのはほぼ見たことない(少なくとも同級生は書いてなかったと思う)

 

なぜか。単純に職業を知らないからでしょう。

そもそも絶対的に知っている職業の数が少なくて、一つ一つの職業に対する理解の質も浅い。医師を将来の夢とする子も、例えば「膠原病内科専門医」とか「腎臓内科専門医」とかそのレベルで夢を見据える人は少ないように思います。でも最終的には、社会人になれば、何かしらの立位置になってるはずなのに。

 

もし、将来なりたい職業を小さい時に書かされて、

大人になって、違う職業を選んでいた時に、

「小さい時に書いた夢、達成できなかったな」

ってならないのかな。ちょっとそこが心配するところです。

多くの人は現実、難しい。

 

皆が知っている有名な職業ばかりにスポットライトが当たるのも、ちょっとなんとも言えない気持ちに。22歳の若造が何をいうてんねん、社会の何を知ってるねん、という感じはありますが、社会のどの職業の方々も欠かせなくて、社会で大切な役割を果たしてくださっているけれども、黒子になってしまっている感じがあるというか。(子どもの人気職業ランキング、みたいなニュース記事を見ると。)

 

ただ、、、

確かに「プロ」の選手を目指す、となれば、大事なことかもしれないのは事実だと思います。例えば、卓球なんかは、もう本当に小さい時から練習を積み重ねている選手が、オリンピックをはじめとする大舞台で活躍していると思います。

本気でプロ野球選手を目指す人にとっては、有言実行していくための、良いモチベーションになるかもしれません。実際にそうなれるのはごく一握りで、バランスが難しそうです。

 

でも、書かせている当の本人たちは、真に上記のようなことを考えて書かせてるんやろか。なんか大人たちの自己満足ではなかろうかと思ったりも。

目標に向けて自己実現をしていく、そのお手伝いをしている、と言われたらまあそうなんでしょうけど、、、何せ知っている職業・世界、それから生きている経験数があまりに少なすぎるのではないかと。個人的にまだ早い感は否めない。

 

 

中高生に、「将来何をしたいか?」を聞くことは正義か

 

一定以上の価値はあると思います。特に高校生。

前述の通り、まだまだ高校生で知らない世界はいっぱいあると思います。少なくとも自分は当時、三菱商事とかマッキンゼーとか言われても「何それ?」ってなってたと思う。

 

でも、質問され続けた結果として、

例えば、「これから新しく総合内科専門医というのができるらしい」というのは知るようになったし、医師と言っても色々あるらしい、研究するのか、臨床するのか、行政にいくのか、etc。

 

正直、まだ早い感はあります。なぜなら、存在はネットで調べることができたとしても、なかなか職業の質まで理解することは難しいのと、

経験値がどうなのか。

18年生きてきて、自分のやりたいことを一意に定められるのか。

 

医学の勉強をしたことないのに、何の専門医に興味が向いているとか、適性があるとか、普通は難しいのではないか。

 

でも、大学を受験するのか、就職するのか。短大に行くのか。という選択。

大学を受験する場合は、避けられない「大学入試」を前に、受験する学部を「選択」しないといけない。

 

ここで、大雑把ではあるものの、でも確実に、専門としたい分野に関して絞ることになります。

 

選択が差し迫っている以上、この問が投げかけられるのはごく自然なことです。

なかなか決まらないと、苦しい悩みになるかもしれないけど、それを機に「調べる」「知ろうとする」ことにこそ、意味があるのではないか。ーと思います。

 

 

まあでも、実際は、

決められた科目の成績が良ければどこへでもいけてしまうので、

そんな深く考えなかった人も多そうです。志望先が情報系だろうと生物系だろうと、同じ勉強をしていればよいわけですから。

 

医学生に、「将来何をしたいか?」を聞くことは正義か(前半:前置き)

一般に、大学生は3回生で就活をします。早い人は2回生からインターンとか行くのかな?

よく「自分の強みを把握して〜」とかありますが、

これまで通りいっぺん、足並み揃えて大学受験勉強をしてきた人たちに、それぞれに特異的な強みなどあるのでしょうか。たかだか1〜2年、大学生活を送っただけで、専門性など獲得しているのでしょうか。それとも、専門性云々ではなくて、これまでの人生で培ってきた性格そのものなどを「強み」と表現しているのでしょうか。

 

もし土台がないのに、「自己分析が大事なんだ」とか言われた日には、もはや可哀想です。何を自己分析するんや、、、

 

一方で、私たち医学部生は、初期研修医という概念があってしまうがゆえに、専門の選択を迫られるのが非常に遅いです。26〜27歳かな?

小学校の同級生が18歳から仕事に就いている一方で、26歳まで専門が決まらない。なんてことが起きる可能性がなきにしもあらず。

 

 

まずそもそも、「なぜ医学部に来たのか?」この問いに答えられる人と答えられない人で二極化します。

答えられない、もしくは成績が良かったからなんとなく、という場合は、

医学の学習を進め、実習をし、研修をしていく中で、意味を見出していくのが大事なのかなと思います。

今までに触れてこなかった経験(とくに実地経験)に真正面から触れて、その人その人に刺さるもの、感じるものはきっとある、と僕は思います。

 

裏を返すと、僭越ながら、

「すべての診療科を一通り勉強してみるまで/現場を見てみるまで、あえて「専門を決める選択をしない」という選択をする」ことも、一つスタンスとしてはあるのかな、と思ったり。それが制度上、許される職業でもありそうです。

 

 

医学生に、「将来何をしたいか?」を聞くことは正義か(後半:本題)

「なぜ医学部に来たのか?」

この問いに答えられる人の中で、

夢・目標の具体性、明確さは、人によってさまざまです。

 

「何をしたいか?」に真摯に答えられる人

 

では、早期から、具体的に・明確に決めることの意味を自分なりに考えます。

 

ひとつは、有意に、

「これをしたいんだ」という強い明確な意志を持つ学生の方が、

充実した学生生活を送っているように(自分には)見えることです。

 

学部生のうちから研究活動に励む。論文を執筆する。手技のトレーニングをする。

普通の学部生にはできないことで、凄いことです。

ところが、実際、社会人として活躍しておられる方の中には、

「学部生のうちから研究しなくても。そんなに急がなくていいよ。学生の今しかできないことを楽しみなさい。」

とコメントされる方もいます。

そうした方が仰るには、

同級生の中にも意識高く、学部生から研究に取り組んでいた人もいるが、今はもう研究を辞めてしまった、大学院では成果が出なかった、など、

ネガティブな話もちょいちょい聞きます。でも、成功例だってごまんとあるでしょう。

 

そういうコメント(将来へのアドバイス)をされる方に出会った時、

・その人をどれくらいリスペクトしているか

・その人自身の経験に寄りすぎていないか

を踏まえて話を聞くのが大事なのかな、と思っています。

 

2点目に関して例示すると、学部生の間に研究をしていなくて、かつ社会人として成果を上げている研究者からすれば、学部生の研究は必須ではない、ときっと言うでしょう。でも、学部生の間から経験を積み上げて、その延長線上に今の仕事がうまくいっている人の場合、「自分は学部生の時の経験が役立った、やって良かった」ときっと言うでしょう。いわゆる「生存者バイアス」に近いかもしれません。

 

また、非常におこがましく、大変申し上げづらいのですが、

アドバイスをする人には、大きくは2パターンあるように感じました。

 

1:自分が成功例だと考えていて、同等の成果を出すのに必要と思われるスキルを想定して、アドバイスをくださる。

2:自分が成功例ではないと考えていて、後悔話や、〇〇をしておいた方がいいよ、という「もしあの頃に戻ってやり直せるなら」系のアドバイスをくださる。

 

もちろん、きわめてフラットに、懇切丁寧、親身にアドバイスをくださる方もいらっしゃいます。ありがとうございます。

 

とはいえ、このブログをみる方は将来必ず、どちらかのタイプ、もしくはその両方に遭遇することでしょう(笑)

 

その時に、「そういう人もいる」ということを認知しておくだけでも、

いただいたアドバイスを、これまでの自身の考えと、円滑にすりあわせできるかもしれないので、共有しておきます。(ちなみに、これは1のスタンスですよね。笑 自分は上手いことアドバイスを消化できた、という前提に立って、皆さんに紹介しているわけですから。)

 

 

さて。

ノーベル賞は、世界で、年に一度だけ贈られる賞です。

言うまでもなく栄誉ある賞であり、世界的な貢献、社会的意義が非常に強く認められているからこそ受賞するものだと考えています。

 

最近の京都大学からの受賞者では、山中教授、本庶教授がおみえです。

有名かもしれませんが、山中教授は、整形外科医の道を当初志しています。学部時代は、柔道とラグビーに明け暮れていたとのことです(ご本人談)

本庶教授は、直接伺ったわけではありませんので正確なところは分かりませんが、学部卒業後、専門医の取得をすることなく基礎研究の道へ歩まれたことからも、研究者志向であったことが推察されます。

つまり、ノーベル賞級の社会貢献をするお二人であったとしても、きっと、学部時代の過ごし方や、学部卒業直後の進路には違いがある、というのは、n=2でこそあれ、注目に値するのではないかということです。

 

「学部生のうちから研究すべきか?」

要は、答えがない、どちらにもコメントできるのではないか、ということです。

 

さらに、私個人としては、呼吸器外科学の教授と、皮膚科学の教授(わかる人にはわかりますね☺️)に、多大なリスペクトと尊敬の念を心に抱いていますが、

学部時代のエピソードとして、研究であるとないとにかかわらず、ずっと何かに熱心に取り組んでおられた、そんなイメージがあります。

 

そして、未来のことは誰にも分かりませんが、今、周りの同級生や先輩後輩を見渡した時、

目標を持って、何かに懸命に取り組んでいく学生の方が、

将来、多大な医学貢献をされてゆかれるように(自分には)見える、ということです。

むしろ憧れという言葉の方が近いかもしれません。

 

 

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大人たちは、なぜ私たちに、「何をしたいの?」かを聞くか。

 

説1:大人はすでに専門性を持ち合わせており、すでに進路の分岐、枝分かれの先にいらっしゃる。まだ何者でもない私たちに、彼らの立場から提供できるもの/すべきでないものがあり、その一環で聞いている(かも)

 

説2:試したい。

 

(優秀な学生は、この問いに魅力的な惹かれる回答をするという前提に立って。)

 

説3:なんとなく。(やめてください。)

 

 

純粋に、コミュニケーションの一環として、相手にとって話しやすい話題を振るために聞いている説もありますが、まあその時はその時ということで。(今までの考察はいづこへ)

 

いずれにせよ、私たちは、徐々に将来の選択肢を減らしつつあります。大学進学を選択し、文理を選択し、学部を選択してきました。もうじき、初期研修をするのかしないのか、するなら研修病院先をどうするか、同時に何を専門としたいのか、大学院には進むのか。そのあたりの選択をし、将来の選択肢をさらに狭めていくのは、時間の問題でしょう。

 

ところが!

なんとまあ、まだまだ選択はしないといけなくて。

例えば血液腫瘍内科の分野なら、大別すれば悪性リンパ腫・多発性骨髄腫・白血病、などがあって、そこから何を専門とするのか?

選んだ先にも、当然のように細分化されていっているし。

(テーマを)大人にするのか、小児にするのか。移植にするのか、化学療法にするのか。はたまた免疫療法か。臨床研究か、基礎研究か。ウェットか、ドライか。月並みだけど、アプローチもたくさんあって、選択の連続で、まだまだ落ち着きそうにない。

 

 

 

結局、時間と共に、もっと正確に言うなれば、積んできた経験とともに、

やりたいことがどんどんと具体的になっていくように思います。

同時に、経験が無ければ、やりたいことは芽生えてこない、もしくは正確性・具体性に欠ける。

 

であるならばやはり、「なんとなく」で日々を過ごすのではなくて、暫定で構わないから、何か熱心になれるものに対して、熱心に向き合っていく、そうすればたとえ転向しようと何をしようと、そこで積んだ経験をもとに次の選択ができるわけですから。

 

 

論理の矛盾

熱心になれるものがない人は、経験が積めないのでは?

 

熱心になれるものがある人は、そこで経験が積まれてゆき、次の選択にも活かしていける。

では、ない人は?

 

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これが最初にして最大の壁なんではないかと、思うわけです。

そこを打破すれば、あとはなんとでもなりそうなものです。

 

 

壁に向き合うのは、体力・気力のいることです。

そこで、義務の力を借りていくのも悪くないのではないかと思います。

 

↓ 一応、解決策の1つを提案しておきます。

*言いっぱなしで代替案を出さないのはよくないというポリシーのもとで。

医学の学習を進め、実習をし、研修をしていく中で、意味を見出していくのが大事なのかなと思います。

今までに触れてこなかった経験(とくに実地経験)に真正面から触れて、その人その人に刺さるもの、感じるものはきっとある、と僕は思います。

「すべての診療科を一通り勉強してみるまで/現場を見てみるまで、あえて「専門を決める選択をしない」という選択をする」ことも、一つスタンスとしてはあるのかな、と思ったり。それが制度上、許される職業でもありそうです。

 

病院実習は、必ず誰しも強制的に通る道ですから。

 

もし、それよりも早くから自分探しの旅へ出ることを希望するなら、

多少の困難は伴えど、積極的に各所へコンタクトを取って、未知の経験をしていくのがよいのではないでしょうか。*責任は取りません。

 

 

それと、やっぱり質問をきっかけに、何したいか考えはじめる人もいると思うんで、結局この質問は正義ということで。

 

結び:自戒を込めて

なんで4回生が偉そうに語ってんねん、と。

はいその通りです。すみません。

 

ただ、モラトリアム真っ只中の現役大学生だからこそ、

考えてみて、7000文字以上書けてしまうこともあるでしょう、きっと。

お忙しい先生方には無理です、きっと。笑

 

 

ただ、本当にいけないことがあります。

それは、自分の実力を棚に上げて、人を評価しうることです。

 

誰しも、「あのような先生になりたい」「ああいう人にはなりたくない」といった感情があってしまうと思います。

リスペクトを持つのは良いことです。

でも、逆はどうなんでしょうか。

 

自分の「将来の理想」とするような先生像、先輩像でなかったとして、自分に持ち合わせていないスキル、実力を持っていることがほとんどでしょう、特に年上の方の場合は。

 

そこに対する敬意を持つべきのはもちろん、

人を評価してばかりで、自分に実力が無いのは最悪です。タチが悪いのもええとこです。(注:実力があれば、ない人に対して敬意を持たなくて良いとは決して言っていません)

 

今、自分にできることは絶対にあって、着実にそれらを実力として身につけていくべきだ、というのは、2023年10月、最も心に響いたことでした。

 

 

何を当たり前のことを、、、と言われる方は心配ありません。

でも、将来のことばかり気にしてしまう人は、心当たりあるんちゃうかな。

 

将来こうなりたい、ああなりたい、ばかり考えてる人・・・

 

 

まずは目先のことに、精一杯になってみませんか。

 

To us

 

 

(追伸)

多分、数年後このブログ見たら、間違いなく恥ずかしいです。

若気の至りやなってなってると思います。

なんなら、今でも恥ずかしい。冷静に振り返って。

重要なのは勢いですね。