お久しぶりです林です。*1
連絡です。
医学科2回生の夏休みは、この日曜をもちまして終了しました。
?
*あんまり言ってると、
すでに授業が始まってる方々に、何を言われるかわからないので、
この辺でやめときます笑
目次
*一続きの話をしております。
夏の終わり
昨日の放課後、
「あー夏の終わりって感じやな〜」
みたいな話を友達としてました。
www.youtube.com
森山直太朗”夏の終わり”
某氏(医陸)は、夏の終わりに”夏の終わり”を聞くそうですが笑
僕のお気に入りはこれです!
ぜひぜひフルで聞いてください!!!
www.youtube.com
MINOR THIRD “short/summer”
夏らしいエモい間奏をはさんだ直後に、
短い夏でした
それは短い夏でした
終わりを告げるかのような
短い夏でした
を繰り返すところが大好きです。
まさに、僕の気持ちを代弁したかのような曲です。
夏へ感じること
なんというか、“夏”という季節に対して、あんまりいい印象がないんですよね。
シンプルな点を挙げれば、暑さです。
「冬の寒さ対策より、夏の暑さ対策だよねぇ〜」的なことを誰か言ってましたが、*2
暑さはどうにもならないので、とてもしんどい。
こんな季節にインターバルするのはいかがかと思う。
いやでもそういうのじゃなくて...
*ここからネガティブになります。
なんかこう、
夏だからというだけで
「何でもできる」と浮かれている空気感
というか、
今までの自分を顧みずに
理想を語ってもいいかのような空気感
みたいなものが
ずっと好きになれませんでした。
いやそれもたぶん違うくて。
「何でもできる」空気感に乗じて
実際に「何でもしている」人々を見ると
何もできていない自分に辟易としてしまう
という感じでしょうか。
(結局、ただの自己嫌悪か?笑)
僕はこういった“爽やかさ”と“澱み”が共存するような空気を
“嗅覚”で感じます。*3
6月あたりから片鱗を感じ、7月の後半ほどからいっきに強くなります。
8月でピークを迎えたのち、9月から秋の匂いへと移っていきます。
特に7、8月はとてもむかむかしちゃいます。
そんな僕にとって、夏の終わりとは
澱んだ空気から解放されて、心に落ち着きが感じられるとき
であると同時に
「まーたダメだったね」と誰か(=自分)に嘲笑われるかのように感じられるとき
であります。
虫の命
9月の初め、見たことのない虫と、下宿の中で遭遇しました。
小蝿かなと思ったら、
尾っぽ(みたいなやつ)が2本生えてました。
写真も撮りましたが、掲載は自粛いたします。
とりあえず空き瓶の中へ幽閉しました。
調べてみると、蜻蛉(カゲロウ)と言うそうです。*4
結構おもしろい虫のようでして*5
幼虫(+亜成虫)として数年過ごすにもかかわらず、
成虫になってからは数時間の命だそうです。
さらに、成虫のカゲロウは口が退化するそうです。これは食事が摂れないこと、どうしようもなく命に限界があることを意味します。
その命の短さに、弱々しい羽の姿も相まって、儚さを喩える季語にもなっているようです。
長い時間かけて準備した挙句、
与えられた舞台は数時間だけ。
あんな小さい虫が、夏という季節の中で、懸命に自らの生を全うしようとしている。
一方、人間である僕には、蜻蛉よりも時間=舞台が与えられている。
真面目に生きなくちゃいけませんね。
そのように感じた林少年は、
すぐさま蜻蛉を空き瓶から出してやったのでした。*6
最後に
軽いノリで行くのかと思わせときながら
とても気持ちの悪い冗長で内容薄なエッセイになりましたね。自分で見てても思います。
しかし、最後までお読みいただいた方(が万が一いらっしゃれば)、ありがとうございます。
しめっとした感じで終わるのは嫌なので、
ナートゥの力をお借りして、締めさせていただきます。*7
*1:注釈つけるの楽しいので、乱発してみます。
*2:兼好法師『徒然草』の「家の作りやうは、夏をむねとすべし」のようですね。 枕草子だと勘違いしてました。兼好、ごめん。
*3:汗ちゃうで
*4:トンボという読みもあるのでややこしいですね。 ポケモンプレイヤーだった身としては、トンボ読みのほうが馴染みありますね。 cf.“蜻蛉返り”
*5:参考: カゲロウの寿命は極端に短い!「口がなく眠る必要もない」って知ってた? - ナゾロジー とか カゲロウの一生はあまりに短くそしてはかない 3億年にわたる命をつないできたつわもの | 雑学 | 東洋経済オンライン ;季語は蜉蝣(かげろう/かげろふ) 初秋 – 季語と歳時記
*6:勘違いしないでほしいのですが、僕は虫がとても苦手です。
*7:RRR、超おすすめです!!!