kyotomedtrackandfield’s diary

ー京都大学医学部陸上部の公式ブログー

「君」と花火が見たい

お久しぶりです。2回生の横尾です。

現在時刻は午後9時半。

今現在、鴨川のデルタでひっそり輝いているであろう幾つかの青春の光に思いをはせながら、下宿先でこのブログを書いております。こんな思わせぶりなタイトルを出しましたが、単に「」を恋しがっているだけです。長かった梅雨は私たちの記憶から徐々に消えてゆき、例年通り外はますます暑くなり、今年ばかりは例年通りを迎えられない人間達をあざ笑っているかのような蝉の鳴き声とともに目を覚ますような時期になりました。灼熱の太陽の下、汗を流し、アイスを食べ、時には海外に赴き、自由を謳歌する。そんな今までの「夏」に少しばかり嫉妬しています。

「おい横尾、かっこつけているのか、くよくよするなよ」そういったツッコミが矢の如く飛んで来ている気がします。

 

気を取り直して。最近どんなことをしているのかをお伝えしたいと思います。たった一つ確かなことがあるとするのならば、「テスト勉強だ」です。同期の一部には日頃から疲弊を一方的に伝え(させてもらって)いるのですが、正直テスト勉強やばいですw今期はオンライン試験になり、試験の難易度が上がっているので更に厳しいです。

愚痴はこの辺りにして、どんな内容を勉強しているのか少し紹介したいです。「医者が患者を手術していいのはなぜか。」という問いに対してどう答えますか?「医者は一般市民より病気に詳しく技術があるから」と答える人もいるでしょう。また「医者は医師としての免許(資格)があるからだ」と答える人もいるでしょう。もちろんただしいでしょう。他にもただしい理由は幾つか考えられますが、この問いを刑法を勉強した法学部生に聞くとほぼこう答えます。「患者の同意があるから。」です。刑法はさまざまなものを守ります。例えば財産、例えば身体、例えば生命です。患者は同意することによって、自分の身体が(刑)法によって守られる事を放棄しているのです。この考え方によって初めて「医者は手術し(同意なければ傷害罪)」「お姉ちゃんが弟の髪の毛をきってあげ(同意なければ傷害罪)」「車掌は電車のドアを閉め(同意なければ監禁罪)」「友達の家にはいり(同意なければ住居侵入罪)」「ご自由にお取りくださいと書かれたパンフレットをとる(同意なければ窃盗罪)」事ができるのです。これを裏返すと、医者でないものが他人を手術したとしてそれ自体すぐに違法となるわけではないのです。ここまでは簡単です。争いがおきても関係は明確です。しかし、同意なくても手術しなければならない場合もあります。緊急時にいちいち同意はとれません。こういった場合は正当業務行為として手術などが正当化されるのです。(ボクサーが相手を殴り、刑務官が死刑を執行することも正当業務として認められます)世の中で普通に行われていることも見えない「同意」によって正当化され成り立っているのだと考えると面白いですね。(ちなみに「同意」の究極の問題が「安楽死」などの問題で本当に難しいです(小並感))

 

長々と読んでくださってありがとうございます。陸上の話も少しします。正直僕は全然走れていないのですが、全国的にじわじわと大会も始まり、その結果や動画を毎日のように見ています。「好記録(自己ベスト)を出す選手が多い」という印象を受けているのですが共感していただけますでしょうか?気のせいかもしれませんが、好記録を目にして、この禍で強くなれる人も居るんだと感心して勇気をもらっています。自分もまた早く速く走れる日を待ち望んでいます。

 

ではテストも残り三日なのでがんばります。ありがとうございました。

 

PS. 各方面、ご迷惑をおかけしました。みんな体調もよく元気にやっています。ちなみに僕は色々あって、いまとても幸せです。

PS. 文字を適当に太字にしていたら、いつもと同じ(テスト勉強)かそれよりも良い(面白い、勇気、幸せ)「」になりそうで喜んでいます。