kyotomedtrackandfield’s diary

ー京都大学医学部陸上部の公式ブログー

6月6日の練習+α

0.ご挨拶

5回生の横尾です。新入生の皆様、入部していただきありがとうございます。そろそろ部活にも慣れてきたでしょうか?梅雨時期で思っていたように外で走れないことも多いですが、いつかは止むのでその時に備えて楽しく筋トレ等しましょう。新入生の方向けに自己紹介しておきますと、今年、京大法学部を卒業し、京大法科大学院に入学しました。(法科大学院、正式には法学研究科法曹養成専攻は、本来は3年で修了なのですが、私は法学部出身なので1年間の授業が免除されており、現在既に2回生ということになります。法科大学院は一般的な修士課程のような研究室配属という形を採っていませんが、このような事情もあるので、周りには便宜上修士1回生と言っています。ちなみに終了時に授与される学位も法務博士というよく分からない学位です(笑))医学部陸上部としては在籍5年目になります。所属パートは短距離で、専門は100や200なのですが、現在は京大医学部陸上部ダイエットパートのパート長もしておりますので、中長距離パートにもお世話になっています。

 

1.6月6日の練習

6月6日(火)の本メニューは、短距離は、30m×2+60m×2+100m×1のSDでした。中長距離は、(400m+2000m、R=90s)×3、R=10min+αでした。

短距離は差し迫った関医対に向けて、各自集中して走れていたと思います。また、4継やマイルも話題に上がるようになり、医学系の試合の始まりを感じます。チーム一丸となって頑張りましょう。1人の喜びは部活の喜び、1人の悔しさは部活の悔しさ。

中・長距離もなかなかハードなメニューをこなしていました。宮下曰く、「このメニューは人間のやるメニューではない」ということですが、一緒に走ってみて中・長距離の皆さんがホモ・サピエンスとは思えないスピードで走られていたので、間違いないかと思います。

 

2.自分の趣味についての考察

私の趣味は「海外旅行」です。最近、趣味としての海外旅行を分析しているのですが、なぜ海外旅行が(自分にとって)魅力的なのでしょうか。

①絶対的な魅力②相対的な魅力の二つに分けて説明したいです。

①については、アメリカのグランドキャニオンを想像してみてください。このような壮大な大自然などは、世界中のどこにいたとしても魅力的に映るのではないでしょうか。これは簡単です。

②については、イギリスのロンドンを想像してみてください。機能的には、フランスのパリ、アメリカのニューヨーク、韓国のソウル、日本の東京と同じです。街を縦横無尽に走る電車やバスや車、スーパーマーケットで食材を選ぶ主婦や口コミが高評価で行列のできる飲食店は、いずれの都市にも存在します。しかし、そこには絶妙且つ深遠な差分があります。電車に乗るために切符やカードを改札に通すというシステムは当たり前なのでしょうか。遠いヨーロッパでは日本車が走っているのに、近い韓国や中国で日本車が少ないのはなぜなのでしょうか。スーパーに並ぶスイス産のチョコレートがスイスよりもオーストリアで安く売られているのはなぜなのでしょうか。某牛丼チェーンのように年中無休で深夜も営業する(あるいはしない)飲食店は単純に経営戦略によるものなのでしょうか。この絶妙且つ深遠な差分こそに、相対的な魅力を感じるのです。この相対的な魅力は、(自分にとって)どちらが良くて、どちらが悪いかなどという単純なものではないのです。

私が海外旅行を魅力に感じているのは、現段階では②の要因が大きいです。大学院で日本法を学び、日本で起こる、様々な事象について毎日検討していますが、1歩日本を出てみると、全く違う法律の下(文脈)で、日本で起こるのと同じような事象が姿を変えて起こっていることに、とても魅力を感じるのです。

これを抽象化する(し過ぎる)と‛非日常感’となり、ゲームや映画等の楽しみと同じようになります。しかし、ゲームや映画と異なり、そこには確実に日常があるのです。彼らにとっての日常が私にとっての非日常であり、それが同じ時間・空間で現実的に交わるのが海外旅行の醍醐味ではないでしょうか。

少し難しい話(直感的にはとても簡単)をしてしまいましたが、なぜこのように分析したのかについて、最後に抱負と不安を述べたいと思います。私は、海外旅行を経て海外に関心を深めることができ(あるいはその逆)、将来的には海外で仕事・生活をすることも視野に入れております。そうしたときに、この旅行における相対的な魅力は、どのように変化あるいは消滅していくのか、少し不安に感じます。例えば日本を出て、シンガポールで生活することになったとして、シンガポールが自分の日常になり、シンガポールの事情を深く知る(知りすぎる)ようになれば、この相対的な魅力はだんだんと薄まっていき、シンガポール旅行で感じていたあの感動が再び訪れないのではないか、という不安感があります。これが可変な相対的魅力の欠点でもあります。

とはいえ、世界は広いので、絶妙且つ深遠な差分はある時点に限定したとしても数多存在しますし、それを時間軸を伸ばして考えると過去・現在・将来に向かって無限に存在していくので、こんなちっぽけな不安は世界を創造支配するヒンドゥー教ブラフマー神の前では無用の長物としてガンジス川に流されちゃうかもね。

                                  以上