kyotomedtrackandfield’s diary

ー京都大学医学部陸上部の公式ブログー

キャプテンとして最後のブログ(多分)

いつもブログを書くとき、方向性が3つあって、どれで行くか悩みます。

・真面目系(陸上のトレーニングや目標)

・思想系(概念、随想)

・日記系(いわゆるブログ。最近あったこと、趣味とか)

 

気付けば4回生の6月となってしまいました。キャプテン兼、中長距離パート長の中村洸文です。

前回は、思想系でお送りしました。自分なりにスポーツについての捉え方を書いています🙇‍♂️

意識高い系があんまり好きじゃなくて、ただイキリ散らかしてるのが苦手です。でも、かくいう自分はというと、せっかく書くなら/伝えるなら、真面目なこと、役に立つかもしれないことを共有したいと思ってしまいます。老害になりたくない。。。

 

老害かどうかの基準は、自分なりにあって、

「押し付けているかどうか」です。

 

自分のことを知ってもらうために、自分のことを話す。

これは、「あなたに興味ないよ」という人にとっては苦痛かもしれませんが、

実害は大してありません。

 

一方で、こうした自分語りにとどまらず、さらに

「だからあなたもこうしなさい」

までいってしまうと、苦笑い、ひきつり笑い、どないしょう、とりあえずそうですねと言っとく?になっちゃう気がします。

 

難しいのはここからです。

その指摘が、「あなたのためを思って」言っているのよパターン。

そして、指摘される側によくあるのが、

「言ってくれるだけありがたい。社会人になったら(歳をとればとるほど)誰も注意してくれなくなる。どんどん言ってほしい。今後ともご指導ご鞭撻....」というスタンス。*1

 

この場合、言う側、言われる側、お互いマッチしているので、OKでしょう。

厄介なのが、

指摘する側(言う側)が、

 

「言ってくれるだけありがたいと思いなさいよ。これからどんどん注意されなくなっていくから」と、*1のスタンスを強要するタイプ。

 

このロジックで詰められると、言い返せません。

言う側はもはや言いたい放題です。

 

 

注意すべきは、*1のスタンスをとっているように見える人でも、実際には鬱陶しく思っているかもしれない。なぜなら、*1のスタンスをとっておくと、社会的に有利だから。その場を平穏におさめることができます。相手との良好な関係を築くことができます。

 

上司と部下の関係で考えると簡単で、

部下は出世したいとします。会社や大学、病院といった組織の一員である限り、部下は、自分一人の力では、その立場(ポジション)を決めることはできません。権限は人事にあり、上の意向で決まります。上が、その部下をどう見ているか、つまり「上司からみた評価」で決まります。

 

*1のスタンスを取る人の方が、上からの評価が高くなるのは言うまでもなく。「上の言うことが正しいかどうか」に関係なく、その姿勢や態度が重要ということになります。

上からの評価を得られないと、出世できないことになります。

「出世のことばかり考えて」と批判されがちですが、

地位や名声を得られないだけならいざ知らず、

ポジションが給与(金銭)と結びつく場合は、死活問題です。

若い頃は、給与のことを気にせず、仕事に打ち込んでもいいかもしれません。しかし、出世が関与する相応の年齢に達する時には、家庭を持っているかもしれません。

家族の生活のために、お金が必要。お金が必要だから、出世が必要。出世が必要だから、上に気に入られることが必要。上に気に入られるために、上の言うことが間違っているかもしれなくても、自分の意にそぐわないことでも、受け入れる。

 

 

話が長くなってきました。(具体例を出すことの問題点ですね)

短い文章の方が読みやすく、情報に溢れた現代社会では好まれると思います。ただ抽象的すぎて、趣旨が相手に正しく伝わらない危険があって、バランスが難しい。

 

 

部活は、お金が出ません。

アルバイトとの大きな違いです。

お金をもらう以上、嫌なことでもやるし、責任は生まれるし、それが「プロ」でしょう。

 

一方で、お金をもらわないということは、ある種「ボランティア」です。

キャプテンが、だれかに、何か仕事をお願いする。お金も出さずに。

 

でも多くの人は、文句も言わずにやってくれる。

凄いことです。絶対に当たり前と思ってはいけないと思います。

 

当たり前ではないけれど、

でも、部活には必ず、一定の仕事量は存在します。

今、みんなが思い浮かべた仕事は、なんだったでしょうか。

 

その思い浮かべた仕事のうち、いくつかは、減らせることです。

減らすことで、どれだけのデメリットが生じるかは、ケースバイケースです。

短期的なデメリットだけでなく、長期的なデメリットも考えないといけませんね。

 

 

例えば新歓活動は、減らせるでしょうか?

ご飯会のいくつかは、減らせるかもしれませんね。

でも何かの歯車が崩れて、入部する部員が減ってしまったら、

次の1年、2年は良くても、3年目以降、その部員が幹部になる頃には、支障が出ている「かも」しれませんね。

 

 

大会エントリーは、減らせるでしょうか?

大会のいくつかは、減らせるかもしれませんね。

1人2人しか出ないような記録会、京都以外の大会(大阪・奈良etc)、それら全てこれまでエントリー係のご好意だけで、参加しえたと思います。

 

一方で、関医対や西医体、京都選手権など、「替えのきかない大会」は陸上選手としては、きっとマストでしょう。

 

 

部活には必ず、一定の仕事量は存在します。

「仕事をするのは、部員だから、当たり前」

そう言われてはおしまいです。仰る通りで、結論はそうです。ただもう少し丁寧に考えたい。

 

 

自分が仕事をするモチベーションは、言語化するならば、2つ。

・キャプテンだから(当たり前、という盲目的な観点。)

・先輩方が仕事をされてきて、その時自分はその恩恵に預かっている。

 

 

盲目的な、というのは少し不適切で、

部員全体に、部員として然るべき権利を守る(のがキャプテンの義務)

→陸協登録、顧問の依頼etcetc

それが当然だ、と思っている、ということです。

 

 

話をぼちぼち終着させたいです。書きすぎです。

 

部員の誰も、お金をもらっていません。

大学部活は、みんなの「善意」だけで動いています。特殊です。(中高の部活は、顧問の先生が教職員。休日の動員はほぼボランティアでかわいそうだけど、部活の顧問の役割まで含めて、公務員としてお金を貰っているはずです)

 

善意、つまり感情だけで、人が集まって、活動している。

陸上ができればなんでも良い、トラックが使いたいだけ、人と話すのが好き、部活の雰囲気が好き、そのために仕事をする。動機は人それぞれでしょう。どんな動機でも、つまり感情だけで仕事しています。

 

 

週2回、各2時間、医陸でランニングを楽しみたくて、部活に入った。

それ以外の時間は、本当は他のことをしたい。

 

陸上は好き、トラックは使いたい。

だけど週5回も6回も、大学生になってまで部活に時間を取られたくない。

せっかく京大に来て、勉強や研究がしたい。陸上選手になるために、来ていない。

 

 

…みたいなスタンスを、受け入れる医陸であり続けてほしい。少なくとも自分は、そうあり続けたい。

できる限り、「押し付け」ないように。

 

 

意識高い系が嫌いです。部活の仕事やってえらいですアピールは絶対嫌です。そもそも大した仕事量じゃありません。淡々と、何事もなかったかのように、な感じが一番好きで、普段きっとそうです。ほんまに、3000文字書くくらいなら、もっと他にやることあるやろって感じで。

 

 

さて、そういえば、大した仕事量じゃないといえるのは、他の部員のおかげでした。

ほんとに、感謝しないといけませんね。